十国春秋卷三十八 前蜀四 列傳 魯王宗鼎

魯王宗鼎

  • 宗鼎は宗澤・宗平と同母で、あるいは翊聖太妃の出であるという。髙祖の第七子である(一に第八子とも)。武成中、彭王に封じられた。後主が継立するに及び、諸王はみな軍使となったが、宗鼎は昆弟に「親王が兵を典るのは禍乱の本である。今、主は少なく臣は強く、讒間がまさに興ろうとしている。甲を繕い兵を訓練することは我らのなすべきことではない」と言い、固く軍使を辞して書斎を経営し松竹を植えて自ら楽しんだ。乾徳六年、魯王に徙封され、後に宗輅・宗紀・宗智・宗澤・宗平・宗特とともに秦川駅で死んだ。