十国春秋卷三十四 南唐二十 列傳 聶紹元

上疏して仏教偏重を諫めた道士

  • 聶紹元、字は伯祖。母の程氏が身ごもったとき、天人がその腹を指して「この子は道果を証するだろう」と言う夢を見た。生まれると聡明で才気があり、他の子供たちと異なっていた。成長すると書史を好み、とりわけ老荘・文子・列子を精しく究めた。
  • ある日、金陵に詣でて道士の髙朗昭に師事し戒籙を受けた。その夜、ある城に入る夢を見た。朱衣の者が机に凭れており、紹元に「ここは司録の所である。自分で名簿を見てよい」と言った。名簿には「聶紹元、十八で道に入り、二十で上清畢法を授かり、二十六でまた南岳に往く」とあった。そこで書を閉じて目覚めた。
  • しばらくして問政山に還って室を築いて住み、自ら無名子と号した。当時、後主は仏教をひどく好み、道士(黄冠)の輩の多くが髭髪を落としてこれに趣いていた。紹元は上疏して切に諌めたが、まもなく病で卒した。卒した日、四羽の鶴が屋根に集まり、また神光が空から下ってきて、望み見た者は火事かと疑ったほどであった。この日、紹元が三人の道士とともに緋緑の衣を着て馬に乗り、従者数十人を伴って南へ去るのを見た者がいた。紹元は振り返って「私は南嶽に往くのだ」と言った。常に『宗性論』『修真秘訣』を撰した。学士の徐鉉・徐鍇はこれを見て称賛して「呉筠・施肩吾もこれに加えるものはない」と嘆じた。