十国春秋卷三十三 南唐十九 列傳 僧文益

牡丹の偈で世を諷した法眼禅師

  • 僧文益は余杭の魯氏の子である。七歳で睦州の僧全偉に依って剃髪し、その後、儒典にも広く通じ、また明州の希覚を訪ねて釈書の講義を聴いた。希覚は「わが門下の游夏(子游・子夏、孔門の高弟)だ」と言った。元宗はその人を重んじ、報恩院に招いて住まわせ、浄慧禅師の号を賜った。
  • ある時、画障子(屏風絵)を献上する者があった。文益が「あなたは手が巧みなのか心が巧みなのか」と問うと、「心が巧みです」と答えた。文益が「では誰があなたの心なのか」と問うと、その人は黙って答えられなかった。機に随って善く誘うことはみなこの類であった。
  • 保大の末、政治は乱れ国は危うくなっていたが、上下ともにこれを意に介さなかった。文益は牡丹を見たのをきっかけに偈を献じて諷諭し、「髪は今日から白くなり、花は去年の紅である。どうして零落を待って初めて空を知る必要があろうか」と詠んだ。元宗は大いにその意を悟った。
  • 交泰元年、病を得ると、元宗は自ら礼問を加えた。まもなく剃髪して身を洗い、跏趺して逝った。顔貌は生けるがごとくで、享年七十四。公卿以下は素服して全身(遺骸)を江寧県丹陽に奉じ、塔を起てた。大法眼禅師と諡され、塔は無相と称された。後主は文益の弟子である行言に導師となるよう命じて法を開かせ、再び文益を大智蔵大導師と諡した。