十国春秋卷三十二 南唐十八 列傳 楊花飛

直言で元宗を悟らせた楽人

  • 楊花飛は保大の初め、楽部に籍を置いていた。元宗は即位したばかりで血気盛んな年頃であり、内寵(後宮の寵愛)に心を寄せ、宴遊や打毬に虚しい日はほとんどなかった。常に酔いに乗じて花飛に『水調詞』を奏でさせ、酒を勧めさせたが、花飛はただ「南朝天子愛風流」の一句だけを歌い、そのようなことが四度に及んだ。元宗は悟るところがあり、盃を伏せて大いに悦び、金帛を厚く賜って、あえて直言したことを称えた。そして「孫皓・陳叔宝の二主にもしこの一言を得させていたならば、璧を銜えて降伏する辱めを受けることはなかっただろう」と言った。翌日、もろもろの宴を罷めて政務に精励し、閩を図り楚を弔い(攻略しようとし)、ほとんど強覇に至るほどであった。当時また楊名高という者がいた。もとの名は「復」といい、「高」はその芸人としての名である。黄幡綽(唐の宮廷俳優)に寄り添い『笑林』を著し、当時大いに流行したが、言葉が卑俗であったのでここには載せない。