十国春秋卷三十一 南唐十七 列傳 邱旭

苦学の末の抜擢

  • 邱旭は字を孟陽といい、宣城の人である。旭はもとより農家の子で、弱冠にして初めて読書し辞章を習った。まもなく計吏に随って金陵に赴き、九たび挙がって曳白(白紙答案)となること六、七度に及んだが、旭は自らますます励んで恥とせず、これによって学はますます進んだ。
  • 後主の時、「徳厚載物」の賦を試し第一人に抜擢された。国が亡んで宋に帰すと、呂蒙正が銓(人事)を判じており、久しく旭の名を聞いていたので「あなたは賦を作れる者ではないか」と問うた。旭は「江南で賦を献じてたまたま第一になりました」と言うと、蒙正は「名を聞くのは久しいが、古人だと思っていたのに、同時代の人だったとは」と言った。薦めて令録を授けられ、京秩に遷り衡州で卒した。常に古の名賢の遺言を纂めて賓朋の宴語となし世に行われた。その詞賦は唐の程度(韓愈らの文体規範)を得ており、当時の人はこれを取って法とした。