十国春秋卷三十一 南唐十七 列傳 舒雅
忘年の交わりと才
- 舒雅は字を子正といい、宣城の人である。姿容秀発、才思をもって自任した。保大の時、計吏に随って金陵に至り、所業を懐にして吏部侍郎韓熙載に献じた。熙載は一見して旧知のようにこれを館に給した。雅は性が巧黠(機知に富む)で応答は流れるようであった。熙載はこれを忘年の交わりと定め、常に雅と服を交換して戯れ、侍婢を交えて笑いごととした。数年経つと熙載が貢挙を知ることになり、雅を高第に抜擢した。朝野はもとより雅の才に服し異論はなかった。
- たまたま後主が中書舎人徐鉉に雅ら五人を覆試させることを命じたが、雅は試験に応じなかった。のちに宋に入って将作監丞となり、まもなく秘閣校理を充てられ、呉淑と斉名した。しばらくして出て舒州を知り、山水の奇秀を見て終焉の志があった。任期が満ちると霊仙観を掌り、卒した。享年七十余(雅には『山海経図』若干巻がある)。