十国春秋卷三十一 南唐十七 列傳 伍喬

易学修得と首席及第

  • 伍喬は廬江の人である。性は学を嗜み、淮の人で自分より優れた者はいないと思い、そこで江を渡って廬山国学に居り、苦節をもって自ら奮った。ある夜、人の掌が牖(窓)の隙間から入り「易を読め」の二字を署すのを見て、たちまち見えなくなった。喬は大いに嘆じ異とし、そのまま『易』を取ってこれを読み、精微を探索した。
  • 数年経つと、山中の浮屠(僧)が夢で仰ぎ見ると大星があり、芒色は甚だ巨大で、傍らに人がありこれを指して「これは伍喬星である」と言った。目覚めて訪ね喬を得ると、資財を傾けてこれを奉じ、金陵に入って進士挙に応じさせた。試験に「画八卦」「霽後望鍾山」の詩が出た。故事として、中選した者を主司は必ず招いて堂に登らせ酒を置いた。
  • 時に宋貞観という者があり、真っ先に座に就き、張洎が続いて至った。主司は洎の文を賢しとして貞観に揖して南座とし、洎を引いて西に座らせた。酒が数巡すると、喬がようやく巻を上げた。主司は嘆じて傑作とし、そこで貞観を北の席に移し、洎を南の席に置き、喬を賓席に居させた。まもなく覆考して榜が出ると、喬が第一を得、洎・貞観がこれに次いだ。当時、主司の衡鑑(人物評価)の精しいことを称えた。
  • 元宗は喬の文を大いに愛し、石に刻んで永式とするよう命じた。仕えて考功員外郎に至り卒した。文集一巻があり世に行われる。