十国春秋卷三十 南唐十六 列傳 李徳柔

苛酷な吏才

  • 李徳柔は字を子懐といい、鄱陽の人である。小吏から身を起こし、人の陰私を伺うのに巧みで、亡命者を捕獲する能力があるとされ、至る所で必ず人を捕らえたので「李猫児」と号された。元宗の時、官を重ねて大理卿に至り、法を執ること苛峻で、獄がまだ成っていない者もすべて蘆蓆(葦むしろ)で囚人を包んで逆さに置いたので、死者は甚だ多かった。
  • 徳柔はもとより学術がなく、みだりに博洽(博識)を自負し、いつも馬を「韓盧」と呼び、染色職人を「伶倫」と呼んだので、縉紳(士大夫)はみな口を掩わずにはいられなかった。はじめ元宗が北寺の獄を置こうとしたとき、徳柔は諫めて「世にどうして士が乏しいことがありましょうか、宦官に文墨を弄ばせてよいでしょうか」と言い、その議はついに沙汰止みになった。論者もまたこれをもって節(評価すべき点)としてこれを取った。