十国春秋卷三十 南唐十六 列傳 劉澄
要約
劉澄は後主の藩邸以来の旧臣で、呉越が常州を陥として脅威が迫る中、朝議によって要衝の潤州を託され節度使に任じられた。出発に際し後主は「卿でなければ委任できない」と諄々と諭し、澄も涙を流して別れたが、内心では既に裏切りを決めており、帰宅すると賜った金宝の車を「蓄えて何になろうか」と惜しげもなく人にばらまき、呉越軍が到着直後で防備の整わない好機があっても、左右の急襲の進言を退け出撃を渋った。
たまたま援兵として潤州に入った盧絳を城内で謀殺し城ごと降ろうとしたが計画は露見し、互いに猜疑して防ぎ合った末、絳を副将の裏切りをそそのかして陥れようとしたものの果たせず、絳が自ら城を抜け出すと、その夜のうちに澄は降伏の使者を送った。翌日、諸将を集めて涙ながらに力尽きたことを訴えて動揺を抑え、門を開いて降った。
これを知った金陵ではますます震撼が広がり、光政使陳喬の「人臣が敵に降るなど許されない」との強い進言により、澄の父母妻子はことごとく捕らえられて斬られた。嫁入り前であった澄の一人娘も、叛逆の身で生きる顔がないと言って、自ら処刑を受け入れたという。
現代語訳全文
内応と降伏
- 劉澄は後主の藩邸の旧人である。後主の末、呉越が常州を克ち兵勢は日々逼っていた。朝議は潤州が最も要害であり良将を得て守るべきだとし、そこで澄を節度使としてこれを鎮させた。出発に臨み、後主は諄々と諭して「卿はもとより私から離れるべきではなく、私もまた卿と別れがたい。ただこれは卿でなければ委任できない。私の意にどうか応えてほしい」と言った。澄は涙を流して別れた。
- 家に帰ると、輦(車)に積んだ金宝を惜しみなく人に「これはみな前後に賜ったものだ。今、国家は難に遭っている。これを蓄えて何になろうか。まさに散じて勲功を図るべきだ」と言った。
- 呉越の兵が初めて至ったとき、営塁がまだ完成していなかったので、左右はこれを急襲するよう請うたが、澄はこの時既に向背(裏切り)の心を懐いており、堅く「兵を出せば勝てないだろう。救いが来るのを待ってから図るのがよい」と言った。
- たまたま盧絳の援兵が城に入ると、澄は事に乗じて絳を斬り城をもって降ろうと謀ったが、絳はこれに気づき、互いに猜疑し防ぎ合った。この時、絳はある副将を怒っていたので、澄はひそかにその副将に「盧公が怒っている。お前は生きられまい」と語り、そこで絳を殺して敵に降るよう諭した。副将は「家族が都城にいるのはどうしようか」と言うと、澄は「事は急である。自ら身のために謀るべきだ。私の家族百口もまた顧みる暇がない」と言った。
- しかし絳を殺すことができなかったので、絳に「都城は万一救われなければ、ここを守って何になろうか」と言った。絳はそこで自ら抜け出た。その夕、澄は使いを遣わして降欵(降伏の意)を送った。翌日、諸将を遍く召して告げ「澄は数旬城を守り、志は国に背かなかったが、事勢はこのようである。策を立てねばならない。諸君はどう思うか」と言うと、衆はみな大いに哭した。澄は変が生じることを恐れ、また泣いて「澄が受けた恩はもとより諸君より深い。しかも父母が都下にいる。忠孝を知らないことがあろうか。ただ力が抗しきれないだけだ」と言った。そこで将吏を率いて門を開いて降った。
- 金陵はこれを聞いてますます震撼した。後主はまさに惶惑としてその家族を放置しようとしたが、陳喬は憤切として「人臣が重い寄託を受けながら、一旦敵に降るとは、これがどうして許されようか」と言い、悉くその父母妻子を収めて斬った。澄の一人娘は嫁ぐことを許されていたがまだ嫁いでおらず、有司はこれを宥そうと議したが、娘は「叛逆の余りに生きて世に何の顔があろうか」と言い、そのまま処刑された。