義を尽くした婚姻の逸話
- 鍾離君はその姓名を失っている(案ずるに『東軒筆録』の注に「鍾離、名は瑾、合肥の人」とあり、また『続文献通考』にもまた「鍾離瑾」に作る。「鍾離」は姓であって邑の名ではないようだ。今は姑く『南唐書』に従う)。保大中、鍾離県令となり、隣邑の許令と婚姻を結んだ。鍾離の娘が嫁ごうとして、一人の媵婢を置いた。ある日、箕帚を執らせて堂皇の窪んだ所を整理させると、突然にはらはらと涙を流した。鍾離君がこれを見てその故を詰ると、婢は「幼い時、私の父はこの穴地に毬窩(毬遊びの窪み)を作って私に遊ばせてくれました。年久しくなってもこの窪んだ所は変わっていません」と言った。
- 鍾離君は驚いて「お前の父は何者か」と問うと、婢は「私の父は前々代の県令です。身は死に家は破れ、私はそのまま民間に落ちぶれ、さらに売られて婢となりました」と言った。鍾離君はにわかに牙儈(仲買人)や老吏を呼んでこれを質すと、事実の通りであることが分かった。
- この時、許令の子との結納の日が決まっていたので、鍾離君は急いで書を許に送り「私は婢を買ったところ、前令の娘であることがわかった。私は特にこれを憐れみ、義としてこれを長く辱めることはできない。私の娘の持参の装いをもって、まずこの娘の婿を求めて嫁がせ、私の娘のことは年を改めて別に装いを整えてから嫁がせたい。よろしいか」と言った。許令は返書して「蘧伯玉はひとり君子であることを恥じた。あなたはどうして自ら高義を独占しようとするのか。前令の娘を私の息子に配わせ、その後あなたは別に良縁を求めてあなたの娘を嫁がせてはどうか」と言った。そこで前令の娘はそのまま許氏に嫁いだ。