十国春秋卷二十九 南唐十五 列傳 盧珖
尤溪の死守
- 盧珖は代々閩の人であった。王氏が国を建てると、尤溪に地を避けた。保大四年、劒州を延平津に置き、陳誨を刺史とし、また尤溪を取って劒州に隷属させた。尤溪にはもとより戍卒があり山賊を防いでいたが、この時、珖を守将とした。李仁達が閩を乱すに及び、その将陳匡弼に尤溪を襲わせると、珖は東郊の水亭でこれを拒み、戦は甚だ激しく、邑人は逃げ隠れて死なずに済んだ。珖は兵が敗れると「私は人の邑を受けてこれを守っているのに、邑を守れなければ何のために生きようか」と言い、大声を上げて進み、匡弼の将である劉掉刀に殺された。邑人は互いに珖を杉嶺に葬った。珖の五子のうち四子は戦に従いともに死んだ。末子は幼く草の中に棄てられていたが、隣の媼がその母を訪ねて金陵に送り帰した。元宗は詔を下して襃恤し、末子に総管を授け、その家に復(税役の免除)を与えた。