十国春秋卷二十九 南唐十五 列傳 陳陶
要約
陳陶は剣浦の人で、若くして長安に学び、昇元中に南奔して金陵に詣でようとしたが、烈祖に会って自ら宋斉邱と反りが合わないことを察し洪州西山に隠棲した。「世にどうして麟鳳がいないことがあろうか、国家が自らこれを見捨てているだけだ」と嘆じ、釈老の学も兼ねて自ら「三教布衣」と号し、暦象に通じた。保大末に凶兆の星が現れ芒が東南を指すのを見て「国はほとんど亡ぶだろう」と語り、まもなく果たして淮南を失ってその言の通りとなった。
元宗が南都で天象を尋ねようとした際には、好物の塩漬け魚売りを装わせて誘い出したところ、役所の舟が落星湾に着いたと聞いて笑って「星は落ちて還らない」と答え、元宗を不快にさせた。宮中で得体の知れぬ獣の足の由来を貪狼星の影響と占い当てるなど博識ぶりは「真の鴻儒」と称賛され、召見されようとした矢先に元宗が崩御した。
その後は仕進の意を絶ち、妻とともに西山に産する霊薬を日々掘って服用し修養焼煉に専念し、やがて姓名を変えて姿を消した。開宝年間、南昌の市で薬を売り歌い舞う老夫婦が陳陶夫妻ではないかと噂されたという。
現代語訳全文
出自と天象への通暁
- 陳陶は剣浦の人である。若くして長安に学び、昇元中に南奔して金陵に詣ろうとしたが、烈祖に会って自ら宋齊邱と合わないことを察し、洪州西山に隠居した。常に「世にどうして麟鳳がいないことがあろうか。国家が自らこれを見捨てているだけだ」と言った(陶は若くして水曹の任畹と親しく、これに寄せた詩に「好し明時に向かって遺逸を薦めよ、千古霊均を弔わしむることなかれ」と詠んだ。また自ら「近来世上に徐庶なし、誰か桑麻に向かって臥龍を識らんや」と詠んだ)。
- 陶は博物であり(『海録砕事』に「陶は詩名をもってし、釈老の学を兼ね、自ら『三教布衣』と号した」とある)、暦象をよく知った。保大の末、星孛が参のように現れその芒が東南を指したとき、陶は人に「国はほとんど亡ぶだろう」と語り、まもなく果たして淮南を失った。
- 元宗が南都に遷り落星湾に至ると、天象を尋ねようとしたが、陶が言い尽くさないことを恐れ、陶がもとより鮓(塩漬け魚)を好むのを利用して、人に偽って鮓を売らせて門に至らせた。陶は出て鮓を食べ大いに喜んだ。鮓売りが「役所の舟が落星に至りました。処士はこれをご存知ですか」と言うと、陶は笑って「星は落ちて還らない」と言った。元宗はこれを聞いて悦ばなかった。
- すでに南都に至ると、殿前で残った獣の一本の足を得たが、その理由を知る者はなかった。使いを遣わして陶に問うと、陶は「この夜はまさに貪狼星が日に直(あた)ったためである」と言った。元宗は「真の鴻儒である」と嘆じ、召見しようとしたが、たまたま元宗が崩御した。
修養と隠棲後
- そこで仕進の意を絶ち、修養焼煉を事とした。西山に霊薬が産し、陶は妻とともに日々これを掘って服用した。二子の幼名は柤・棃といった(陶の詩に「磻渓の老叟人の問う無く、閒に柤棃を列ねて六韜を教う」とあり、思うに二子を指したものである)。ある人がその優劣を問うと、答えて「味は同じではないが、みな口に合う」と言った。しばらくして姓名を変えて立ち去り、その終わるところを知らない。
- 開宝中、南昌の市に老翁がおり、髻を結い褐を被って老嫗とともに薬を売り、銭を得ると酒を沽い鮓を市(あがな)って相対して飲み食いし、酔うと道の上で歌い舞った。その歌に「藍采和、藍采和、塵世は紛紛として事更に多し、何ぞ薬を売り美酒を沽い、帰り去って青崖に手を拍って歌うに如かんや」とあった。ある人はこれを陶夫婦ではないかと疑った。