出自と犬羊仙
- 黄載は字を元吉といい、その先祖は江夏の人であった。代々農をなしていたが、載は耒耜(農具)を捨てて廬山に学び、䖍(虔)の人劉元亨に師事し、経史を精しく究め文章をよくした。一度科挙に挙がって不中第となると、嘆いて「士が蹇浅な文を規模とし、有司の手で取捨されるのは、道からそう遠くないことなのか」と言い、二度と進取を求めず、教授を業とした。
- 載は母に事えて孝の名があった。性は酒を嗜み、講席の間に多く罌缶(酒瓶)を置き、興が来ればすぐに飲んだが、義理を乱すことはなかった。常に『礼経』若干巻を書き写し、その値は百千であったが、ある人がこれを取り去ってしまうと、載は笑って「あれは資産のない者だ。これを元手に一家を成そうとしているのだろう。それもまた私の徳である」と言い、まったく気にかけなかった。
- 諸生が醵金して羊を買った夜、ある羊が載に望んで命乞いする夢を見た。載は銭を出してその代金を払い、その羊を飼った。また一頭の犬を飼うと、たいそう馴れていた。出入りするたびに羊と犬が連れ添って従い、当時の人は「犬羊仙」と号し、その事を書き記した。
- 金陵が陥ちたとき、載は隠居していたため難を免れた。宋の天禧の末、ある夜酔って死んだ。享年七十。妻子はみな先に卒していた。