勇力と機知
- 盧郢は金陵の人で、文章をよくし勇力があり、鉄笛を吹くのを好んだ。乾徳中、後主は韓徳霸を都城の烽火使とし、非常を警察させたが、権を怙んで暴横であり、国人はその先駆を見ると奔って避けないものはなかった。郢はこれに遭遇しても笛を吹き平然としていた。徳霸は左右を叱って郢を捕らえさせようとしたが、郢は腕を奮って十余人を撃ち、みな倒れさせ、まっすぐ進んで徳霸を捽(つか)んで馬から墜とし、殴って顔と目を傷つけた。
- 徳霸は憤慨して訴え出たが、後主はこれを叱って退け、近侍を顧みて笑い「戎帥が一人の田舎者に遭って自ら全うできなかったのに、面目もなくよく訴えるものだ」と言い、その職を罷めさせた(『馬令南唐書』には、徳霸が郢が笛を止めないのを見て数卒に捕らえさせたが、郢は弦を奮って搏ち、卒はついに近づけなかったといい、後に黄夢錫らとともに国学から出て徳霸に遭い、その呵導を避けなかったため、徳霸が馬を駐めて「お前たちは物乞い風情のくせに憲制を知らず、無礼をなすのか」と詰ったので、左右を叱って捕らえさせようとしたところ、郢らは瓦石を投げて導従を撃ち走らせ、徳霸を殴って顔を傷つけたとある。徳霸が後主に訴えると、後主は「国子監は先帝が賢才を教育した地であり、私もまたこの輩に頼って共に治めているのに、お前は監の前で争うとは、分を越えて士人を陵辱するものだ」と責めた、と記されており、これとやや異なる)。
- 翌年、郢は進士に挙がり、試験の「王度は金玉の如し」賦で第一に及第した。徐鉉は郢の姉の婿で、常に後主の命を受けて文を撰していたが、数日かかっても仕上がらなかったところ、郢が「あなたのために考えを練りましょう」と言い、庭下に十人がかりでも動かせない石があったので郢はこれを戯れに弄び、しばらくして酒を求めて数升を一気に飲み、また初めのように弄んだ。ふと筆吏を顧みて口占し、書かせて一字も改めなかった。鉉はその巧みさに服し、そのまま郢の文を進上した。後主は鉉に「語勢は遒俊で、卿の作とは思えない」と言い、鉉は事実を答えた。郢はこれによって名を知られた(一説に近職に擢任されたという)。国が亡んで宋に入り、全州の知事となって卒した。