十国春秋卷二十七 南唐十三 張雄

生涯

  • 張雄、あるいは李姓とも言う、淮の人である。周が淮南を侵すと、民は自ら結んで部伍を作り、周の軍を拒み、これを義軍と呼んだ。雄が将いる部隊は最も功があった。元宗は義軍の首領に命じた。割地に及んで江南に移り、袁・汀二州の刺史を歴任した。後主が嗣位すると、統軍使に進み、なお二州を守った。
  • 宋の軍が江南に入り金陵が危急になると、雄は諸子に言った、「私は必ず国難に死ぬ、お前たちが従わなければ、私の死は忠孝ではなくなる」と。諸子は泣いて命を受けた。雄はそこで兵を紏合して東に下ってこれを救おうとした。溧陽に至って突然宋の軍と遭遇し、田欽祚と戦って利を失い、その子とともに力戦してともに死んだ。同行しなかった者もまた他の陣で死んだ。父子八人、生存する者は一人も無かった。国人はこれを哀しんだ。