十国春秋卷二十七 南唐十三 鍾蒨

生涯

  • 鍾蒨、字は徳林、代々(闕)の人である。兄の懐建に従って豫章に家した。文辞は敦く行いは立派で、頗る時の誉れがあった。藩府の従事から起家し、二徐(徐鉉・徐鍇)らと交遊し、累進して台郎に登り、集賢殿学士に遷った。保大九年、東都少尹となった。交泰の時、斉王景達が撫州の都督となり、朝廷は慎んで僚佐を選び、観察判官・検校屯田郎中に除された。後主の時、勤政殿学士の官にあった。宋の軍が金陵に入ると、蒨は朝服を着けて家に坐し、兵が門に及ぶと一族を挙げてこれに死んだ。蒨の妻王氏は太原の人で、交泰元年(958年CE)に先立って卒した。蒨は詩に工みで、「賦山別知己」「新鴻」などの篇があり、甚だ世に称せられた。