十国春秋卷二十七 南唐十三 廖居素

生涯

  • 廖居素は将楽の人である。昇元・保大の時に仕え、人となりは堅正であったが、国を執る者に喜ばれず、校書郎に困ずること二十年、ようやく大理司直を得た。後主が嗣位すると、やや遷って瓊林光慶使・検校太保・判三司に至った。後主は孱昏(虚弱で暗愚)であり、群臣はまさに充位して富貴を保つのみで、国はますます削られていった。居素だけが慷慨として何度も諫め、後主が一たび悟ることを冀ったが、ついに聴かれなかった。そこで門を閉じて食を却け、朝服朝冠を着けたまま井戸の中に立って死んだ。まもなく篋(箱)に大字が見つかり、「吾の死は、国が破れて主が辱められるのを見るに忍びないからである」と書かれていた。徐鍇はこれを弔う文を作り、屈原・伍員(伍子胥)に比した。