十国春秋卷二十四 南唐十 孟堅
生涯
- 孟堅は初め閩に事え、建州の裨将となった。驍勇で智略に富み、閩の景宗とは仲が悪かった。堅はその必ず敗れることを知っていた。折しも査文徽が王氏の乱を討ち、堅は降った。文徽はすぐに兵を付し、奇策を出して激しく撃ち、赴くところ功があった。
- 馮延魯が福州を攻めた時、堅もまた軍中にあった。呉越の援兵が海路から到来したが、泥沼に阻まれて上陸できなかった。延魯は用兵を知らず、敵を破ることを急ぎ、兵を収めて誘い出しこれを追い詰めようとした。堅は諫めて言った、「呉越の兵は進退ともにできず、まさに我らに対して死力を尽くすことになる。彼らを平地に至らせては勝てる見込みは無い」と。延魯は大言して言った、「私が自ら撃つのだから、君には関わりない」と。
- 呉越の兵は平地を得ると果たして制することができなくなった。李弘義の兵が城中から出て、精鋭を尽くして挟み撃ちにし、延魯は大敗して軍を棄てて逃げた。堅は力戦して死んだ。