十国春秋卷十九 列傳 慶王𢎞茂

慶王𢎞茂

  • 𢎞茂は字を子松といい、元宗の第二子である。幼くして頴異(聡明)で歌詩をよくし格調は清古であった。年十四で侍衛諸軍都虞侯となり樂安公に封ぜられた。騎射撃刺いずれも精習し、また兵職を領したが戎事を喜ばず、いつも賔客・朝士と燕遊するたびただ詩を賦すことを楽しみとした。初め文獻太子は剛果で人が多くこれを憚っていたので、時望(世人の期待)は𢎞茂に帰していた。保大九年七月に薨じ、慶王に追封され、金陵の城南五里に葬られた。韓熙載に碑文を作らせてこれを表した。時の人はみなこれを慶王墓と称した。𢎞茂が幼いとき、元宗は木平和尚にこれを視させたところ、「あとは問うに足りない、分からないのはただ寿だけだ」と言った。木平は手ずから「九十一」と書いてこれを献じたが、𢎞茂は薨ずるとき享年一十九であった。