十国春秋卷十八 列傳 保儀黃氏
保儀黃氏
- 保儀黄氏は代々江夏の人で、父の守忠は乱に遭って湘湖に流徙し馬氏に事えた。恭孝王の難に守忠は死んだ。邊鎬が長沙に入って黄氏を得たとき、まだ数歳であったが、その容貌を竒として後宮に入れた。後主が即位すると選ばれて保儀となり、容態は一時に冠絶し、顧盼顰笑(振り返り微笑む様)は妍姣でないものはなかった。書札に巧みで、専ら宮中の書籍を掌らせた。二人の周后が相継いで房を専らにし燕暱(親密)であったため、黄氏は見識され賞されながらも、ついに数(しばしば)幸御を受けることはなかった。元宗父子はともに書法をよくし、元宗は羊欣を学び、後主は柳公権を学んだ。ともに鍾繇・王羲之以来の墨帖を至って多く購蔵し、黄氏が実にこれを掌った。城が将に陥ちようとしたとき、後主はこれに「これはみな先帝の寳、城がもし守れなければ、汝はすぐにこれを焼き他人に得られないようにせよ」と言い、城が陥ちるに及んで悉く焼いて遺すものが無かった。黄氏もまた北遷に従い、大梁で卒した。