十国春秋卷十一 列傳 淮南畫工

要約

淮南の画工は姓名を伝えないが、晋王李克用が河東を有していたころ、太祖はその容貌を知らないことを恨みに思い、密かに商人を装わせて境内に潜入させ肖像を描かせようとした。謀が露見して捕らえられると、片目が眇めていた晋王は初め怒ったものの、「試みにこれに描かせその技量を見よう、私を十分に描けなければ死罪だ」と告げて絵を描かせた。折しも盛夏で晋王が八角の扇を手にしていたため、画工がその扇で顔の半分を隠して描くと、晋王は「これは私にへつらうものだ」と怒って描き直させた。画工はふたたび声に応じて筆を執り、晋王が背に弓を撚って矢をつがえ、片目を微かに合わせて矢の曲直を審らかにする姿を描いた。晋王は大いに喜び、金帛を厚く与えて帰らせた。

機知によって死地を脱したこの画工の逸話に続き、原文には陶雅にまつわる汪華廟の由緒、田頵の宣州統治や趙鍠討伐の顛末、南唐の徐延休が呉の南郊儀礼を整えた故事、楊行密配下の功臣四十人を記した「淝上英雄小録」の由来など、淮南の群雄興亡にまつわる詩文・碑記が多数注として付されている。宣州の司空田頵は戦乱で荒廃した地を、賦役を軽くし民を安んじる政によって富ませ、便庁の造営も民の困窮が癒えるのを待って行ったという治績も併せて伝えられている。

現代語訳全文

機知をもって死を免る

  • 淮南の画工は、その姓名を失っている。晋王李克用が河東を有していたころ、太祖はその容貌を知らないことを恨みに思い、密かに画工を遣わして商人を装わせその境内に入らせ、これを描かせた。
  • 河東に至ると、その謀を発する者があり、これを捕らえた。晋王は初め甚だ怒ったが、ほどなく「私はもとより片目が眇(すが)めている。試みにこれに描かせ、その為すところがどうであるか見てみよう」と言った。
  • ほどなく画工が至ると、晋王は膝を按じて声を励まし、「淮南がお前を遣わして私の真(肖像)を描かせるからには、必ず画家の中でもすぐれた者であろう。私を描いて十分に及ばなければ、階下がすなわちお前の命の果てる場所だ」と言った。
  • 画工は再拝して筆を下した。時はちょうど盛夏で、晋王は八角の扇を執っていたので、その扇の様子を描いてその顔の半分を障(さえぎ)った。晋王は「これは私にへつらうものだ」と言い、急いで別に描かせた。
  • 画工はまた声に応じて筆を下し、その背に弓を撚(ひね)って矢をつがえる姿を描き、なお片目を微かに合わせて矢の曲直を審らかにするさまとした。晋王は大いに喜び、金帛を厚く賜って(画工を)帰らせた。