十国春秋卷四 列傳 太子妃李氏

生涯

  • 太子妃李氏は、斉王知誥の第四女である。賢明で温淑、容儀は世に絶するほどであった。天祚年間中、冊立されて皇太子璉の妃となった。
  • 南唐が禅譲を受けると、宋斉丘はその婚姻を解消するよう請うたが、唐の先主(李昪)は許さなかった。永興公主に封ぜられた。
  • 妃は自らを呉家の嫡子の嫁と考えており、国が滅んだことを心中憤り悲しみ、人が「公主」と呼ぶのを聞くたびに悲しみに沈んで涙を流し、左右の者もそのために悲痛な思いをした。兄たちの多くはこれを嫌ったが、唐の先主は、「嫁いだ夫の家を内とし、実家を外とするのは、婦人の徳というものだ。何の罪があろうか」と言った。
  • その後、太子璉に従って池州に至り、璉が薨じると、妃は金陵の宮に戻って居住した。終身、白衣を着て、容飾を捨て去り、肉や生臭いものを口にせず、自ら「未亡人」と称し、香を焚いて仏に向かい、「願わくは、子が生まれ変わるたびに、二度と情のある生き物とはなりませんように」と誓った。
  • 二十四歳のとき、病もなく端座したまま亡くなった。すると、丈あまりもある鋏のような光が口から出て、五晩に渡ってようやく消えた。納棺の際には、体は柔らかく温かで、生きているかのようであった。唐の先主は悼み痛んで、李建勲に詔してその不思議な出来事を記す碑を宮中に建てさせたという。

史論

評して言う。婦人が嫁いだ夫の家を内とするのは、義の正しいところである。史書は、妃が「公主」と呼ばれるのを聞くたびに必ず涙を流してこれを辞退したと伝えるが、その志操は黄皇室主(王莽の娘、漢の孝平皇后)と何ら異なるところがないではないか。まことに哀れむべきことである。