貞觀政要好みを慎む(慎所好第二十一)
貞観二年:梁の武帝を鑑とし堯舜周孔を好む
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太宗は「君は器、民は水のようなもので、方円は器次第だ。堯舜が仁で天下を率いれば民も仁に従い、桀紂が暴で率いれば民も暴に従う。梁の武帝父子は仏教・老荘に耽り、侯景の乱に際して群臣が馬にも乗れず狼狽し、武帝・簡文帝・元帝が相次いで幽閉・殺害された。庾信の『哀江南賦』も『宰相が干戈を児戯とし、縉紳が清談を廟略とした』と嘆いている。朕が好むのは堯舜の道と周孔の教えのみで、鳥に翼、魚に水があるように片時も欠かせない」と語った。
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(胡寅の評より)太宗が仏老を好まず堯舜周孔を好んだことは選択として正しいが、それを「鳥の翼、魚の水」と言うほど真に体得していたかは疑わしいと評す。
- (真徳秀の評より)太宗が終身の行いにおいて必ずしも堯舜周孔の道に適っていなかった点を指摘し、講じたのはもっぱら前代の得失にとどまり、三聖伝授の微旨や六経の治法には及ばなかったと惜しむ。
編者按(戈直)
- 太宗が老釈の空寂を斥け堯舜周孔の道を不可欠とした言葉自体は三代以下の君主に稀な見識だが、これを真に体得していたとまでは言い難いと評す。
貞観二年:神仙を求めない
- 太宗は「神仙の事は虚妄で名のみだ。秦の始皇帝は方士に欺かれ童男女数千人を海に送って神仙を求めさせたが沙丘で客死し、漢の武帝も方士欒大を厚遇したが効なく誅殺した。神仙をみだりに求める必要はない」と語った。
編者按(戈直)
- 太宗が秦皇漢武の過ちを戒めとし神怪に惑わされなかった見識を称えつつ、晩年に婆羅門僧の長生の薬を信じたことと矛盾していないかと問いかける。
貞観四年:讖緯を信じず正身修徳を説く
- 太宗は「隋の煬帝は猜疑深く邪道を信じ、胡人を忌避するあまり胡牀を交牀と呼び替えさせ、讖言を恐れて李金才(李渾)一族を誅殺したが、結局宇文化及に殺された。天下を治める者はただ正身修徳あるのみで、それ以外の虚事に心を煩わすべきではない」と語った。
編者按(戈直)
- 太宗の「正身修徳」の説を是としつつ、晩年に「女主武氏」に関する讖言を恐れて功臣に淫刑を及ぼした事実(李君羨誅殺など)との矛盾を指摘する。
貞観七年:からくり人形の禁止
- 工部尚書段綸が巧匠楊思斉を推挙した際、太宗が試みに傀儡(からくり人形、匈奴の白登の囲みを解いた故事に由来する木偶戯具)を作らせたことに対し、太宗自身が「国事に資する巧匠にまずこのようなものを作らせるとは、百工に奇巧を戒める意に反する」として段綸の階級を削り、この戯具の制作を禁じた。
編者按(戈直)
- 『中庸』の百工を勧める道と対比し、太宗が自ら奇技淫巧を戒め即座に禁じた判断を、先んずべきことを知る者と評す。