房玄齢の孝
- 司空房玄齢は継母によく仕え、色を和らげて孝養を尽くし、母の病には医者を必ず自ら迎え涙して拝した。喪に服す際は柴のように痩せ、太宗は散騎常侍劉洎に慰めさせ、寝床や粥・塩菜を賜った。
編者按(戈直)
- 『孝経』の「親に事えて孝なれば忠は君に移しうる」を引き、事親の理と事君の理は一つであるとし、閔損・王祥のような継母への孝の例に房玄齢を重ね、名相たる玄齢の忠も孝から発したと評す。
虞世南の兄弟愛
- 虞世南は隋に仕えていた際、兄虞世基が宇文化及に殺されようとした時、自ら抱きついて代わりに死のうとしたが叶わず、以後数年にわたり哀毀骨立するほど悲しんだ。
編者按(戈直)
- 虞世基・世南兄弟が顧野王に学び陸機・陸雲兄弟に比された文才を持ちながら、世南が身を捨てて兄の身代わりを願った孝友の姿勢を称える。
韓王元嘉・魯哀王霊夔の兄弟の徳
- 高祖第十一子の韓王李元嘉は十五歳で母(太妃)の病を聞いて涙し食を断ち、喪に及んでは礼を過ぎるほど哀毀した。太宗はその至性を嘉した。元嘉は同母弟の魯哀王霊夔と特に友愛が篤く、兄弟の交わりは布衣のように質素であったという。
霍王元軌の徳と魏徴の評
- 高祖第十四子の霍王李元軌は多才で、閤を閉じて読書に励み、処士劉伯英と布衣の交わりを結んだ。高祖の喪には礼を過ぎるほど哀毀し、以後常に布服を着て終身の悲しみを示した。太宗が「朕の子弟で誰が賢いか」と魏徴に問うと、魏徴は「呉王(李恪)と語るたび自らを省みさせられる」と答え、太宗が前代の誰に比すべきか問うと、「経学文雅では漢の河間献王・東平憲王に、孝行では曾参・閔損に比すべきは霍王だ」と答え、太宗は元軌を厚遇し、魏徴の娘を娶らせた。
編者按(戈直)
- 孟子の性善説を引き、王孫公子の身分でも本性に人と異なるところはないとし、韓王元嘉・霍王元軌の孝友・倹約・修潔な人柄がこれを証すると評す。
突厥出身の史行昌の孝
- 玄武門の宿衛の任にあった突厥出身の史行昌は、食事の肉を残し「母に奉るため」と答えた。太宗はこれを聞き「仁孝の性に華夷の隔てはない」と感嘆し、乗馬一疋を賜り、母への肉の支給を命じた。
編者按(戈直)
- 異民族出身の一衛士の孝心が天子に届き厚遇された例を挙げ、人の心を持つ者は誰しも孝に感発されると評す。