貞觀政要封建の議(封建第八)

貞観元年:功臣の封賞を巡る公平の議論

  • 太宗は房玄齢を梁国公、杜如晦を蔡国公、長孫無忌を斉国公に封じ食邑一千三百戸とした。皇族の淮安王神通は「自分は義旗の初めから兵を率いたのに、玄齢らのような刀筆の吏が功第一とされるのは納得できない」と訴えたが、太宗は「賞罰は私情によらず公平でなければならない。玄齢らには蕭何が汗馬の労なく功第一とされた漢の故事に通じる籌謀の功がある。叔父は至親だが、私情で勲功と同列に賞することはできない」と答えた。功臣たちは太宗の公平さに納得したという。

  • あわせて、高祖が宗族の子弟を数十人も郡王に封じていたことについて、太宗は「両漢以来、封王は子・兄弟に限られ、疎遠な者は大功なくして王とはされなかった。一律に王として力役を課すのは万民を苦しめる」とし、無功の宗室を県公に格下げした。封徳彜は「漢が疎遠な者に爵を与えなかった前例」を引いてこれを支持した。

編者按(戈直)

  • 三代の分封は同姓・異姓を問わず功徳によったことを説き、唐の功臣封賞と宗室降封の措置は、賞は私すべからずという古の遺意に通じると評す。

貞観十一年:世襲刺史制の議論

  • 太宗は周が八百年続いたのに秦が二世で滅んだのは封建の有無によるとし、皇族・功臣(長孫無忌・房玄齢ら)を世襲刺史に任じる制を定めた。礼部侍郎李百薬はこれに反対する上疏を奉り、王朝の長短は封建の有無ではなく天時と人事によるとし、周も末期には衰微し、秦も一概に封建の欠如のみが滅亡の因ではないとして、世襲による弊害(世襲が続けば愚昧な子孫が禍をもたらす例)を挙げ、官は世襲でなく賢才登用によるべきだと説いた。中書舎人馬周も、堯舜の子ですら不肖であった例(丹朱・商均)を引き、世襲の弊害を説き、任命ではなく茅土(封地)を与えるにとどめるべきだと上疏した。太宗はこれらの言を嘉納し、最終的に子弟・功臣の世襲刺史制は停止された(『通鑑』では貞観五年に魏徴・李百薬・顔師古が既に封建の得失を議論し、十三年にも于志寧・馬周・長孫無忌らが重ねて反対し、無忌が固辞したことで世襲制が停止されたと記す)。

  • (范祖禹の評より)柳宗元の「封建は聖人の意ではなく勢いによるものだ」との論を引き、後世の郡県制が実情に即した制度だと評す。

  • (胡寅の評より)柳宗元・范祖禹の封建否定論に対し、封建には「天下と利を共にする」公の理があるとし、柳宗元の論拠を一つずつ反駁して封建の意義を擁護する。

編者按(戈直)

  • 封建・郡県それぞれの是非を論じた范祖禹・胡寅の説を踏まえつつ、封建は三代以上の事勢、郡県は三代以下の事勢であり、今の世に封建・井田を復すのは実際的でないとし、要は守令を精選し久任し功績で登用することにあると総括する。