- 要旨: 功を誇らず争いを退け、謙譲と自己修養によって勝つことこそ君子の道である。争いは相互の毀謗を生み、小さな怨みを大禍へ育てる。
謙譲は進路、矜争は険路
- 善は自ら誇らないことを大とし、賢は自ら賢とすることで損なわれる。舜は徳を譲って義が聞こえ、湯はへりくだって敬徳が日に進んだ。郄至は人に上ろうとして抑圧を増し、王叔は争いを好んで出奔した。卑下謙譲は成長への道、功を矜って人を凌ぐことは破滅への険路である。
- 君子は行動を儀準から越えず、志を等級から凌がせず、内には自己を励まし、外には謙譲して畏敬するため、怨難を避けて子孫まで栄福を保つ。小人は功と能を誇って人を凌ぎ、先に立てば害され、功があれば毀られ、敗れれば喜ばれる。並走して先を争い、双方が折れて後続に利益を奪われる。
好勝が生む相互毀損
- 好勝者は先行を鋭さ、後退を停滞、衆人の下にいることを卑屈、同輩を踏むことを傑出、敵に譲ることを辱め、上を凌ぐことを高厲と考え、進んで引き返せない。抗争心で賢者に会えば廉頗に対する藺相如のように相手が退き、暴者に会えば灌夫と田蚡のように敵難を構える。
- 敵対すれば是非が混ざり、双方が傷つく。他人の毀謗は怨憾から生じ、何らかの事に依託して端緒と末尾を飾るため、聞き手は半ば信じる。こちらも報復すれば双方の説が遠近に半信される。口を貸して自らを罵り、手を貸して自らを殴るのと同じである。
- 原因は自己への厚い責めと内なる寛恕が足りず、外に求め続けることにある。自分が薄徳で軽んじられるなら自分が曲がり相手が直い。自分が賢く相手が知らないなら、自分の咎ではない。相手が賢く前にいるなら徳が及ばず、徳が等しく先行されたなら順序が近いだけで、怨む理由はない。
退いて勝つ
- 二賢の優劣が決まらなければ譲る者が俊れ、俊者同士が争えば力を費やす者が疲弊する。藺相如は車を返して廉頗に勝り、冦恂は闘わず賈復より賢とされた。龍蛇の蟄伏や尺蠖の屈伸のように、屈が伸へ転じるのが道である。
- 君子は韓信のように胯下の辱を忍び、展喜が齊軍を犒ったようにへりくだり、晋文公が楚を三舎避けて城濮の勲を得たように禍を福へ、藺相如が廉頗と刎頸の交わりを結んだように仇を友へ変える。怨みを後嗣へ残さず、美名を無窮に伝える。
小さな忿りと大きな禍
- 君子は小さな嫌疑を受け入れるため大訟を防ぎ、小人は小忿を忍べず大敗辱に至る。怨みが微かなうちなら謙徳で消せるが、萌した変を争えば、涓流が江河となり漏水が舟を覆すように救えない。
- 陳餘は張耳との変で身を滅ぼし、彭寵は朱浮との郄から宗族を覆した。注は、二女の桑争いが吳楚の難を、季氏と郈氏の闘鶏が魯国の釁を起こしたことも挙げ、禍福の機を慎むよう求める。
争わないための実践
- 君子は推譲を鋭器、修身を棚櫓とし、静かな時は沈黙の玄門を閉じ、動く時は恭順の通路を進む。その勝利には争いの形がなく、敵が服しても怨みが生じず、悔いも声色に現れない。
- 顕然と争う者は自分を賢とするが、他人からは険詖と見える。相手に険徳がなければ毀る根拠がなく、本当に険徳があれば訟えるのは檻の兕を放ち虎に触れるように危険である。『易』は険と違反が訟を起こすとし、『老子』は争わない者とは天下も争えないとする。
三等の徳
- 功の三等は、功なく自矜する下等、功を誇る中等、大功を誇らない上等である。賢の三等は、愚かで勝ちたがる下等、賢く人に上ろうとする中等、賢く譲れる上等である。寛厳の三等は、自分に緩く他人に厳しい下等、自他ともに厳しい中等、自分に厳しく他人に寛い上等である。
- これらは道の奇と物の変で、三段の転換を経て上等に至るため、多くの人は遠く及ばない。道を知り変に通じる者だけが上等を保てる。孟之反は功を誇らず聖人に誉められ、管叔は賞を辞して嘉賞を受けたが、名を求める詭計ではなく純徳の自然な一致である。
- 君子は自らを損することが益となると知り、一つの功から行いと名の二美を得る。小人は自益が損になると知らず、一度誇って行いと名をともに失う。ゆえに誇らないことが真の誇り、争わないことが真の勝ち、敵に譲ることが敵への勝利、衆人の下にいることが上昇である。争いの険路を避け玄路を進めば、徳の光は古人に並ぶ。