- 要旨: 人は自分と同類の才能なら理解できるが、異質な才能には疑いや反発を抱きやすい。多様な材を兼ねる者だけが衆材を公平に見抜けると論じる。
同類だけを知る偏り
- 人は本来きわめて知りにくいのに、士は誰もが自分は人を知ると思い込む。自分の尺度で見れば理解できたと思い、他人の人物評価は誤りだと考えるのは、各自が自分と同じ資質だけを善と認め、異なる長所を取り逃がすからである。
- 各流派には次の偏りがある。
- 清節の人は正直を尺度とし、恒常的な性行を認めるが、法術を詭計と疑う。
- 法制の人は分数を尺度とし、方正な人を認めるが、変化の術を尊ばない。
- 術謀の人は思謨を尺度とし、奇策を評価するが、法を守る良さを理解しない。
- 器能の人は辨護を尺度とし、方略を認めるが、制度の根本を知らない。
- 智意の人は原意を尺度とし、韜諝の権宜を認めるが、法教の常道を尊ばない。
- 伎倆の人は功の獲得を尺度とし、進取の実績を認めるが、道徳の感化に通じない。
- 臧否の人は伺察を尺度とし、批判の明晰さを認めるが、倜儻な異才を受け容れない。
- 言語の人は辨析を尺度とし、敏速な応答を認めるが、内に美を含む寡黙さを知らない。
- このため同類なら議論が通じ、遠隔の者同士でも心が合うが、異質なら長年肩を並べても疎遠なままで、互いを否定する。
兼材が衆材を知る
- 一流だけの人は一流の善を、二流を兼ねる人は二流の美を知る。すべての流を備えれば衆材を兼ねて理解し、それぞれを適所に置ける。この兼材の人は国體と同じである。
- 国體の人の一端を見るだけなら一朝で足りるが、全体を究めるには三日を要する。国體の人は道徳・法制・䇿術の三材を兼ねるため、この三点を語り尽くして初めて長所が現れ、任用への疑いを除ける。
兼と偏を言動から見分ける
- 人の長所を流派別に引き出して名目を与え、語り尽くさせようとするのが兼材である。これに対し、自分の美点を述べて称賛を求めながら、他人の長所を知ろうとしないのが偏材である。偏材は法を聞けば苛酷を疑い、術を聞けば詭詐を疑うように、異質な言葉をことごとく疑う。
- 浅い者に深い理を説くほど隔たりは広がり、隔たりは反発と相互否定を生む。商君が帝王の道を説いて受け容れられず強兵へ話題を変えた例や、李兌が蘇秦の説を聞かなかった例が注に挙げられる。
- 偏材は、詳しく率直に述べれば自己顕示、黙って聴けば空虚、高談すれば不遜、謙って言い尽くさなければ浅陋、一つの善だけを言えば狭量、多くの奇策を出せば多端と見る。先回りして賛同すれば美名を奪うと疑い、誤りを詰めれば理解不足、反対例を示せば競争心、広く異論を交えれば要点がないと非難する。結局、同類の議論だけを喜んで親愛し、称賛して登用する。これが偏材の常なる失敗である。