楽戸から鐘律の妙を極めた楽人
- 出自不詳。父の万大通は梁将王琳に従い斉に帰順後、江南への帰還を謀り誅殺され、萬寶常は楽戸に配された。鐘律に通じ八音を極め、食器で音律を試し宮商を整えた逸話で名を知られたが周・隋を通じて重用されなかった。
- 開皇初年、鄭訳らの定めた黄鐘調について「亡国の音」と批判、水尺律を提唱し『楽譜』六十四巻を撰し八十四調・百四十律・千八百声への旋宮理論を実演して見せた。しかし雅淡な楽風は当時に好まれず、蘇夔ら太常の楽人に妬まれ、蘇威の詰問に沙門の入れ知恵で「胡僧伝授の仏家の音律」と答えたところ「四夷の楽で中国に不可」と一蹴された。太常の楽を聞き「淫厲にして哀しい、天下は久しからず」と予言し、大業末に的中した。
- 貧しく子もなく、妻に病中の資財を奪われ逃げられ餓死した。死に際に著書を焼き「何の役に立つか」と言ったが、火中から数巻が救われ後世に伝わった。開皇年間、鄭訳・何妥・盧賁・蘇夔・蕭吉らも楽書を撰したが天賦の識楽では萬寶常に及ばなかった。安馬駒・曹妙達・王長通・郭令楽らの俗楽の名手も萬寶常の雅正には及ばぬと内心服した。楽人王令言が煬帝の江都行を子の胡琵琶の曲調から予知した逸話も付される。