北史卷八十二 列傳第七十儒林下 冀俊
偽勅を巧みに写した能書家
- 字は僧俊、太原陽邑の人。性格は沈着謹厳で隷書に優れ模写を特に得意とした。初め賀抜岳の墨曹参軍となり、岳が殺害されると周文帝に記室として招かれた。
- 周文帝が侯莫陳悦討伐を図った際、俊に魏帝の偽の勅書を書かせ費也頭に送り討伐への助力を求めさせたところ、俊は旧勅を模写し舎人・主書らの署名まで真物と見紛うほど再現し、周文帝は大いに喜んだ。費也頭も疑わず兵を出し周文帝の指揮下に入った。
- 大統初め長安県男に封ぜられ、弘農征討・沙苑の戦いに従軍して子爵に進み、累遷して襄楽郡守。召還後は明帝や宋献公らに隷書を教授した。当時、書学に入る者は束脩の礼(謝章)を行う風習があったが、俊は文字の起源が蒼頡にあるとして周文帝に蒼頡・先聖・先師の釈奠を提案した。
- 黄門侍郎・本州大中正を経て湖州刺史に累遷、静退清約な人柄で前後の任地で声望を得た。驃騎大将軍・開府儀同三司を加えられ、後に昌楽侯に進爵して卒した。