字功明
- 皇甫績は安定朝那の人。祖の穆は魏の隴東太守、父の道は周の湖州刺史・雍州都督。
- 績は三歳で父を失い、外祖父の韋孝寬に養育された。孝寬は他の子には厳しく督励しつつも幼い績には寛容だったが、績は「私には父の訓えがなく外家に養われた身。自ら励まねば何を成せようか」と嘆じ、自ら左右に命じて杖三十を受けた。孝寬はこれを聞いて涙を流した。以後、績は学問に専心した。
- 周武帝が魯公だった時代に侍読に任じられ、宣帝が太子監国のとき衛剌王の乱に際して玄武門で太子に馳せ参じ、武帝に善しとされ小宮尹に遷った。
- 宣帝崩御後、隋文帝の輔政に力を尽くし、上開府・内史中大夫・郡公に進み、大将軍を拝命。
- 開皇元年、豫州刺史から都官尚書、晋州刺史に転じ、赴任の際「陳には滅ぶべき三つの理由がある」と上奏(大が小を呑む、有道が無道を伐つ、叛臣蕭岩を納れたこと)。陳平定後は蘇州刺史となり、高智慧の乱で州人の顧子元らに攻められたが、感恩していた子元が降り、楊素の援軍と合わせて撃破した。
- 信州総管に任じられたが病により致仕を願い、詔により京師に召還され禦薬を賜るなど篤い待遇を受け、家で没した。諡は安。子の偲が嗣ぎ、大業中に尚書主爵郎となった。