北史卷七十四 列傳第六十二 柳裘
字茂和
- 柳裘は河東解の人、南斉の司空・世隆の曾孫。祖の惔は梁の尚書左僕射、父の明は太子舎人・義興太守。
- 裘は幼くして聡慧、弱冠で名声を得た。梁では尚書郎・駙馬都尉を歴任。梁元帝が西魏軍に逼られた際、裘を遣わして和を請わせ、まもなく江陵が平定されると関中に入った。
- 周の明帝・武帝の間、麟趾学士から太子侍読に進み昌楽県侯に封ぜられた。宣帝即位後は公に進爵し禦飾大夫に転じた。
- 宣帝が病篤くなると宮中に留まり、劉昉・韋暮・皇甫績とともに隋文帝を推戴する謀に加わり、「今こそ時を逃さず大計を定めるべきだ」と説いた。宣帝はこれに従った。
- 上開府・内史大夫に進み機密を委ねられた。尉遅迥の乱では并州総管の李穆が去就に迷ったため、裘が赴いて利害を説き穆の心を帰服させた。司馬消難が陳に奔ったときは淮南の安集を命じられた。
- 開皇元年、大将軍に進み許州刺史となり、清簡な政をもって民に慕われ、曹州刺史に転じた。文帝が定策の功に報いようとしたが、まもなく裘は没した。文帝は久しく惜しみ、諡は安。子の恵音が嗣いだ。