生涯
- 杜彦、雲中の人。父の遷は葛栄の乱の際、家を豳に移した。
- 彦は勇断で騎射に優れた性格。北周に仕え軍功により隴州刺史に累進、永安県伯を賜った。隋文帝が丞相の頃、韋孝寛に従い尉遅迥を撃ち功により上開府に進み襄武県侯に改封、魏郡太守を拝命した。開皇初年、丹州刺史を拝命し公爵に進んだ。左武纫将軍に召された。陳平定の役では行軍総管として韓擒虎と連携して進んだ。陳平定後、物五千段・粟六千石を賜り柱国に進み子の宝安に昌陽県公の爵位を賜った。高智慧らの乱に際し行軍総管として楊素に従い討伐しその渠帥を斬った。賊の李鮎が兵を擁し彭山に拠ると彦はこれを襲撃し破り鮎を斬りその首を伝えた。さらに徐州・宜封二洞を撃ち平定した。奴婢百余口を賜り、洪州総管を拝命し善政で知られた。
- 雲州総管賀婁子幹が没すると文帝は長く悼み、侍臣に「榆林は国の重鎮、どこに子幹のような人物がいるか」と語った。数日後「杜彦に及ぶ者はない」と述べ、雲州総管に召された。北夷は畏憚し胡馬は辺塞に近寄らなかった。朝廷は前功を追録し子の宝虔に承県公の爵位を賜った。十八年、遼東遠征に際し行軍総管として漢王に従い営州に至った。文帝は彦が軍旅に通じていることから五十営の総統を命じた。帰還後、朔州総管を拝命した。突厥が雲州を犯すと文帝は楊素に撃退させたがなお辺患を恐れ、再び彦を雲州総管とした。病により召還され没した。
杜寶虔――生涯