北史卷六十八 列傳第五十六 賀若敦

賀若敦、河南洛陽の人。北周の将で、湘州で陳の侯瑱を持久戦により破るなど知略に富んだが、功を認められず晋公宇文護に忌まれ自殺を強要された。臨終に子の弼へ江南平定の遺志を託した。

年表(4件)
  • 廢帝
  • 二年右衛将軍を拝命する
  • 武成元年軍司馬として陳の将侯瑱の湘州包囲を破る
  • 保定五年中州刺史となり函谷を鎮守するが、晋公護に召還され自殺を強要される
  • 建徳初大将軍を追贈される

経歴

  • 河南洛陽の人。その先は漠北に居し代々部落大人。曾祖貸は魏献文帝の時に入国,都官尚書となり安富県公に封。祖伏連,魏に仕え雲州刺史。父統,勇健で文学を好まず祖父の蔭により秘書郎。永安初,太宰元天穆に従い邢杲を討ち功により当亭子に封。斉神武挙兵の初め,統は潁州長史となり刺史田迅を捕らえ州を挙げて降り,兗州刺史を拝し当亭県公を賜る。北雍・恒二州刺史を歴任。卒,司空公を追贈,諡は哀。敦は少くして気概あり,統が田迅を捕らえようとした時,事が成らないことを慮り逡巡していたが,敦は当時17歳,策を進めてその謀を助けた。統は涙を流してこれに従い,西帰の謀を決した。時に群盗が蜂起し大亀山の賊張世顕が密かに統を襲うと,敦は身を挺して戦い自ら七八人を斬り賊は退いた。統は大いに悦び左右の僚属に「私は若くして軍旅に従い戦陣は一度ではないが,この子のような年齢での胆略は見たことがない。私の家門を成すだけでなく国の名将ともなろう」と語った。
  • 翌年,河内公独孤信に従い洛陽で包囲されると,敦は三石弓を引き箭を外さなかった。信はこれを周文に言上し麾下に引き入れ都督を授け安陵県伯に封じた。かつて甘泉宮での校猟に従った際,囲みの人員が揃わず獣の多くが逃げた。周文が大いに怒り人々は皆震え上がったが,囲みの中に一頭の鹿がおり,これも囲みを破って逃げた。敦は馬を躍らせてこれを追い,鹿が東山に上ると馬を捨て徒歩で追い,山の半ばでこれを捕らえた。周文は大いに喜び諸将はこれにより責めを免れた。太子庶子に累遷。廃帝二年,右衛将軍を拝す。まもなく驃騎大将軍・開府儀同三司を加えられ,広郷県公に進爵。時に岷蜀が新たに開かれ人心なお梗塞していた。巴西の譙淹が南梁州に拠り,梁の西江州刺史王開業と表裏をなして群蛮を煽動,周文の命により敦がこれを討平し武都郡公に進爵,典祀中大夫を拝す。まもなく金州都督。蛮帥向白彪・向五子王らが衆を集め信州を包囲すると,詔により敦は開府田弘とともに救援に赴いたが到着前に城は陥落。進軍して追討し信州を平定した。この歳,荊州の蛮帥文子栄が自ら仁州刺史と号すと,また敦に開府潘招とともに討たせ子栄を捕らえその衆を虜にした。
  • 武成元年,軍司馬として入朝。陳の将侯瑱・侯安都らが湘州を包囲し糧道を絶ったため,敦に江を渡って救援を命じた。敦は連戦して瑱を破り,勝ちに乗じて湘州に進んだ。まもなく秋の増水で江路が絶たれ糧援が途絶えた。瑱らに糧の乏しいことを知られることを恐れ,営内に土を多く積み米で覆い,近くの村人を招いて訪問を装いすぐに帰した。瑱らはこれを聞き実と信じた。敦はさらに営塁を修築し廬舎を造り持久の構えを示した。湘・羅の間では農業が廃れ,瑱らはどうすることもできなかった。当初,土地の人がしばしば軽船で米粟や籠に入れた鶏鴨を積んで瑱の軍に届けていた。敦はこれを憂い,土地の人に偽装した船に甲士を伏せさせた。瑱の兵はこれを餉船と見て奪おうと近づき,敦の伏兵に捕らえられた。また敦の軍からしばしば馬に乗って瑱に投降する者がいて瑱は常にこれを受け入れていた。敦は別に一頭の馬を取り船に近づけて船中から鞭で打たせた。これを繰り返すと馬は船を恐れて近づかなくなった。のち江岸に伏兵を置き,人にその馬に乗せて瑱の軍を招かせ投降を装わせた。瑱は兵を遣わし迎えようとしたが,馬が船を恐れて近づかず伏兵が発して悉く殺した。以後実際に糧を送ったり投降しようとする者があっても敦の詐術と疑われ受け入れられなかった。一年余り対峙して瑱は制することができず船を借りて敦を渡らせることを求めた。敦はそれが詐りかもしれないと考え「私から百里離れれば汝のために撤退しよう」と言い,瑱らは船を残し兵を百里退かせた。敦はそれが詐りでないことを確認し兵をまとめて帰還した。軍中で病死する者は十のうち五六に及んだ。晋公護は敦が地を失い功なしとしてその名を除いた。
  • 保定五年,中州刺史に累遷し函谷を鎮守。敦は功を恃み気を負い,同輩が皆大将軍となる中で自分だけがそれを得られず,また湘州の役で全軍を保って帰還したにもかかわらず除名されたことから常に怨言を漏らした。晋公護は怒り召還して自殺を強要した。刑に臨み,子弼を呼んで「私は必ず江南を平定しようとしたが心ならずも果たせなかった,汝はわが志を成せ。私は舌により死ぬ,汝はこれを思わなければならない」と言い,錐で弼の舌を刺して血を出させ言葉を慎むよう戒めた。建徳初,大将軍を追贈,諡は烈。