北史卷六十八 列傳第五十六 豆盧毓

経歴(附:願師・贊・永恩・通)

  • 字道生。少くして英果で気節あり。漢王諒が并州鎮守に出ると,毓は妃の兄として王府主簿となる。突厥征討の功で儀同三司。煬帝即位後,諒は諮議王頍の謀により反乱を計画。毓は苦諫するも聞かれず,弟懿に「匹馬で朝廷に帰れば自ら禍を免れられるが,これは自分のための計であって国のためではない,今はしばらく従うふりをして後の策を考えよう」と語った。毓の兄・顕州刺史賢は帝に「臣弟毓は志節を懐き必ず乱に従わないが,凶威に迫られ果たせない。臣が従軍し毓と表裏となれば,諒など図るに足りない」と言上し帝はこれを許可。賢は密使に勅書を持たせ毓のもとに届け謀を通じた。諒が介州に赴く際,毓と総管属朱濤に留守を命じたが,毓は濤とこれを拒む相談をし,従わない濤を斬った。時に諒の司馬皇甫誕が諫言により囚われていたのを毓が救出し,協力して開府磐石侯宿勤武らと城門を閉ざして諒を拒んだ。手配未完のうちに密告する者があり,諒に攻められ城は陥落,毓は殺害された,時に28歳。諒平定後,大将軍を追贈,正義県公に封,諡は湣。
  • 子願師が嗣ぐ。儀同三司を拝す。大業初,新令施行により五等爵は皆廃されたが,まもなく帝は再び詔して雍丘侯に改封,願師が襲った。
  • 贊(寧の実子)は寧の勲功により建徳初,華陰県侯を賜り,累遷して開府儀同大将軍,武陽郡公に進爵。
  • 永恩(寧の弟)は若くして識度あり,寧とともに周文に帰順。孝武帝を迎える功で新興伯に封。数々の征討に功あり驃騎大将軍・開府儀同三司に進む。周孝閔帝践祚後,鄯州刺史を授かり沃野県公に改封。保定元年,司会中大夫として入朝。寧が楚国公に封ぜられた際,先の封邑武陽郡三千戸を沃野の封に加えるよう請い許された。官にて卒,少保を追贈,諡は敬。子通が嗣ぐ。
  • 通,字平東,一名会。弘厚で器局あり。周において父の功により臨貞県侯を賜り沃野県公に改封。開府・北徐州刺史。開皇初,南陳郡公に進爵,隋文帝の妹昌楽県長公主を娶る。定・相二州刺史,夏・洪二州総管を歴任,ともに寛恵で称された。官にて卒,諡は安。子寛が嗣ぐ。