北史卷四十九 列傳第三十七 梁覽
経歴と最期
- 梁覧、字は景睿、金城の人。先祖は安定の出で難を避けて西羌に走り代々部落酋帥。曾祖の穆は枹罕城を吐谷渾に帰し後に魏に帰し臨洮公に封ぜられ、祖の顥は尚書・南安公、父の釗は河華二州刺史・新陽県伯。覧の家は豪富で財貲は千金に上った。孝昌初、秦州で莫折念生・胡琛らが反乱すると財を散じて二千人を募り河州を鎮め、大軍に従って賊を平定し涼・河二州刺史を歴任し安徳県侯に封ぜられた。本州刺史として甲仗を整え軍馬を精鋭にしたため吐谷渾は「梁公がいる間は動けぬ」と憚った。永安中、大鴻臚琅邪王皓が世襲の河州刺史に策授した。永熙中、郡公に改封。大統二年(536年)、太尉を加えられたが従弟の定が反乱を企て覧を図ろうとし数戦して破れず王師の到着でようやく平定した。大統四年、太傅に遷った。河橋の役で王師が敗れた際、覧は病で長安に留まっていたが、趙青雀が北城で反乱を起こすとその謀主となり、事が平定されると殺された。子の鸛雀は儀同三司・大都督となったが後に事に坐して免官され死んだ。