北史卷四十五 列傳第三十三 劉藻
劉藻
- 字彦先、広平易陽の人。六世祖遐は晋元帝に従い南渡、父宗之は宋の廬江太守。群書を渉猟し談笑と交友に優れ、一石の酒でも乱れなかった。太安中(455〜459年)姉夫の李嶷と共に北魏に帰順、易陽子。南部主書として称職。
- 北地の羌族の反乱を懐柔で鎮めた功で北地太守。岐州刺史・秦州刺史として羌氐の豪横を誅し、遙領のみだった守宰を実際に赴任させた。孝文帝の南伐に東道都督として従い、水軍で漢中・南鄭に迫るも詔で撤兵。南伐の際「石頭で会おう」と語った孝文帝への機知に富んだ応答の逸話が伝わる。のち高聡らと敗戦し平州に流されたが、景明初(500年)旧功により太尉司馬に復し没した。
- 子の紹珍は劉騰に取り入り国郎中令、爵を継ぐが治績なく、天平中(534〜537年)子の洪業が関中で反乱に加わり連座して処刑された。