北史卷四十五 列傳第三十三 沈文秀

沈文秀

  • 字仲遠、呉興武康の人(伯父沈慶之は『南史』に伝あり)。宋に仕え青州刺史。和平六年(465年)、宋明帝が子業を殺すと諸州と共に子業弟の子勲を擁立、子勲敗死後、皇興初(467年)文秀は崔道固と共に北魏へ降ったが、弟文景の説得でいったん宋に復帰。北魏の慕容白曜が東陽に迫ると当初は降伏を考えたが、軍による略奪を見て翻意し籠城、夏から翌春まで抗戦の末に落城。文秀は節を持し、白曜の前で「身がそれだ」と敢然と名乗り出て、両国の大臣に相拝の礼なしと拒む逸話が伝わる。長史房天楽・司馬沈嵩らと共に京師に送られ死罪を免れ厚遇された。献文帝はその節義を重んじ外都下大夫に任じ、太和三年(479年)外都大官。孝文帝はその忠を称え絹彩を賜り、南征都将、懐州刺史・呉郡公を歴任。清貧な政で盗賊は防げなかったが水田開発に努め没する。
  • 子の保沖は徐州冠軍長史となるが敗戦の罪で死刑判断となったところ、孝文帝が父の功により特赦し洛陽の作部に配した。宣武帝時、下邳太守で没。
  • 房天楽(清河の人)は滑稽多知で文秀の長史として州府事を委ねられ京師で没。弟の子嘉慶は漁陽太守。