北史卷三十八 列傳第二十六 裴果
「黄驄年少」と呼ばれた勇将
- 字は戎昭、河東聞喜の人。祖の思賢は魏の青州刺史、父の遵は齊州刺史。果は少くして慷慨の志略があり、周文帝に見出されて密かに帰服した。永安末の盗賊討伐で黄驄馬に青袍で先登を続け「黄驄年少」と呼ばれた。
- 齊神武が沙苑で敗れると宗党を率いて帰順し田宅奴婢を賜り、河橋の戦・玉壁の解囲で活躍。大統九年の芒山の戦では単身陥陣し東魏都督賀婁焉邏蘭を捕らえ、周文の信任を深めた。正平郡守(本郡)として威猛の政を布き、大将軍尉遲迥の蜀征討にも前軍として参じ功があった。龍州刺史時代には州民張遁・李拓の反乱を寡兵で撃退。
- 周孝閔帝の代に隆州刺史・驃騎大将軍・開府儀同三司、眉・復二州刺史を歴任し厳猛な断決で称職とされ卒し、絳・晋・建州刺史を追贈され諡は質。子の孝仁は聡敏で長寧鎮将として斉との辺境防衛に功があり、建・譙・亳三州刺史を歴任した。