北史卷三十七 列傳第二十五 封敕文
枹罕を平定した天水公
- 封敕文は代の人、本姓は是賁。始光初め中散となり西部尚書を経て、使持節・開府・領護西夷校尉・秦益二州刺史(天水公)として上邽を鎮めた。吐谷渾慕利延の兄子拾帰を枹罕に討ち、拾帰の妻子・人戸を虜として上邽に千家を分徙した。
- 金城の辺冏・天水の梁会の反乱では奇兵で大破し辺冏を斬った。氐・羌一万と休官・屠各・雑戸二万余の連合軍にも打ち勝ち、梁会が塹を飛び越えて逃げようとする夜襲を防ぎ、白幡で降を呼びかけて六百余人を降らせ、逃げる敗兵を大いに斬った。略陽王元達・秦地王を称した王官興の乱も莫真とともに討破した。天安元年卒。長子の万護は爵を弟の翰に譲り、朝廷はこの謙譲を義とした。