北史卷三十七 列傳第二十五 皮豹子

仇池を鎮めた征西の将

  • 皮豹子は漁陽の人。武略に富み、太武朝に散騎常侍・新安侯を賜り選部尚書を拝したが、統万に徙されたのち真君三年、宋将の裴方明が南秦王楊難当を侵して仇池を陥すと、太武に召されて爵位を復され、使持節・仇池鎮将として古弼らと十道並進の討伐にあたった。四年正月、楽郷を大破し、宋の秦州刺史胡崇之を濁水で撃って全軍を虜とし仇池を平定。楊文徳の再攻も古弼が討平した。
  • 豹子は都督秦・雍・荊・梁・益五州諸軍事、征西大将軍・仇池鎮将に進み、宋の楊文徳・姜道盛の侵攻も撃退。楊文徳の武都王擁立と叛乱、宋将殷孝祖・郭啓玄らの侵攻もことごとく撃破し、興安二年には蕭道成らの侵攻も高平鎮将苟莫幹の援軍で退けた。前後の戦功により内都大官に累進し、卒すると文成に惜しまれ淮陽王を贈られ諡は襄。子の道明が襲爵した。

皮豹子の子孫

  • 道明の第八弟懐喜は文成に名臣の子として侍御中散に抜擢され、孝文初め吐谷渾拾夤討伐に従軍後、父の旧鎮であった仇池鎮将(使持節・侍中・都督秦雍荊梁益五州諸軍事)を拝し、恩恵を布いて夷人を大いに悦ばせ、広業・固道二郡を置いて招懐した。南部尚書・南康侯。
  • 太和元年、宋の楊文度討伐で葭蘆城を落とし文度を斬った。駱穀築城をめぐり詔で厳しく督責され、南天水の柳旃の叛乱も討滅した。豫州刺史時代は飲酒により政事を怠ったとして杖罰を受けたが、卒すると諡は恭公。子の承宗が襲爵した。