北史卷三十六 列傳第二十四 洪祚

経歴

  • 長子の初古拔、また車轂拔とも呼ばれ、本名は洪祚。太武帝が新たな名を賜った。沈毅で識見があった。弱冠の頃、司徒崔浩がその才を認めた。真君年間、蓋呉が関右を騒がせ薛永宗が河側に屯拠した際、太武帝が自ら討伐に赴き、詔により洪祚は宗族・郷里の兵を糾合し河際に砦を築き敵の往来を断った。
  • 事平定後、中散を拝し永康侯の爵を賜った。太武帝の南討に従い都将として臨江まで従軍し帰還した。陸真とともに反乱を起こした氐の仇傉檀・強免生を討平した。皇興三年、散騎常侍を除され文成帝の娘西河長公主を娶り駙馬都尉を拝した。同年、族叔の徐州刺史安都が城を挙げて帰順すると、洪祚は彭城に赴き迎え労い、南豫州刺史を除された。
  • 延興二年、鎮西大将軍・開府儀同を除され平陽公に進んだ。延興三年、南兗州刺史游明根・南平太守許含らとともに善政により京師に召された。献文帝が自ら労い勉励し再び州に戻された。太和六年、河東公に改封された。没して左光禄大夫を贈られ諡は康。