北史卷三十五 列傳第二十三 瓊
字世珍、孝文帝より賜った名。王慧龍の曾孫、寶興の子。典寺令から光州・兗州刺史を歴任するも権臣に阿らず長く不遇であった、奇矯な逸話の多い人物。四子をもうけ、長子の遵業をはじめ子孫は北斉・隋にわたり要職を歴任し、曾孫の劭は『隋書』の著者として知られる。
経歴
- 瓊、字は世珍。孝文帝より賜った名。太和九年、典寺令となり、六十年後に侯から伯に降爵された(原文のまま。爵位降格の年代表記に誤りの疑いあり)。帝は瓊の長女を嬪に納れ、前将軍・并州大中正を拝した。正始年間、光州刺史として収賄の疑いで中尉王顕に弾劾されたが最終的に雪冤された。神亀年間、左将軍・兗州刺史を除された。州から京師に戻ってからは長く沈滞した。
- 居所は司空劉騰の邸宅の西にあり、劉騰は権勢が朝野に及んでいたが瓊は一度も伺候しなかった。劉騰が権勢を強め隣家を併呑して邸宅を拡張した際も、瓊だけは頑として応じず、これにより長く抑圧された。