北史卷三十四 列傳第二十二 趙逸
経歴
- 趙逸、字は思群。天水の人。父の昌は石勒の黄門郎。趙逸は学を好み早くして名をなし、姚興に仕え中書侍郎を歴任した。のち赫連屈丐に捕らえられ著作郎を拝した。
- 太武帝が統万を平定した際、趙逸の著作を見て「この不遜な言辞は何者が書いたのか、速やかに追及せよ」と怒った。司徒崔浩は「彼の妄言は揚雄の『美新』のようなもので、寛容にすべきです」と進言し、帝は追及をやめた。
- 中書侍郎・赤城鎮将を歴任し、しばしば辞職を願い出て久しく許されなかった。書物を好み、白髪になっても勤勉で、七十を過ぎても書から手を離さず、著した詩賦銘頌は五十余篇に及んだ。
溫(趙逸の兄)――経歴
- 趙逸の兄の溫、字は思恭。博学で高名があり、姚泓のもとで天水太守を務めた。劉裕が姚泓を滅ぼすと氐(楊氏)のもとに逃れた。氐王楊難当が魏に藩を称すると、太武帝は溫を楊難当府の司馬とし、仇池令で没した。