孝行の逸話
- 溫の子の琰、字は叔起。苻氏の乱の際、乳母に抱かれて壽春に逃れ、十四歳で帰郷した。孝心深く、親の食事は必ず自ら調理した。皇興年間の京師の飢饉時、婢が粟を売ろうとしたのを咎めて留め置かせるなど、清廉な逸話が多い。
- 息子の応の縁談に際し、従者が道で拾った羊を三十里運んだことを知ると本の場所に返させた。ある家で羊羹を供された際、盗まれた羊と知り食べなかった。買った鋤の刃が余分に六本あったことに気づき、返却させた。持ち主は感心して受け取らなかったので、そのまま置いて去った。
- 初め兗州司馬、団城鎮副将に転じた。京師に戻り淮南王他の府長史となった。当時越関葬(関を越えて故郷に葬ること)は厳しく禁じられており、琰は四十余年、両親を葬れなかった。祭祀の度に慕情を抑えられず、還暦を過ぎても孝思はいよいよ篤くなり、故郷への思いが叶わないことを嘆いて塩粟を絶ち肴味も断って麦のみを食べた。八十歳で没した。洛陽遷都後、子の応らが郷里に帰りようやく葬ることができた。
- 応の弟の煦、字は賓育、音律を好み歌をもって世に聞こえ、秦州刺史となった。