北史卷二十五 列傳第十三 伊珝

伊珝

  • 伊珝、代の人。若くして勇健で奔馬に走り及び、弓を能くし力で牛を曳き後退させたという。神麚初年、侍郎に擢され三郎に転じ汾陽子を賜爵。太武帝が涼州討伐を議した際、多くの議者は水草の乏しさを理由に諫めたが司徒崔浩だけが行を勧めた。群臣が退いた後、珝は「涼州にもし水草がなければ、どうして国たり得ようか、浩の言に従うべきだ」と語り帝はこれを善しとした。涼州を克ち姑臧で大会を開いた際、帝は群臣に「崔公の智計は十分にあり、私はもう驚かない。むしろ珝の弓馬の士でありながら見識が崔と同じであることこそ奇である」と語り、浩を顧みて「珝の智力はこれほどだ、ついには公相に至るだろう」と言うと、浩は「学問を読んで初めて学があるとは限らない、衛青・霍去病も読書せずに公輔に至った」と応じた。帝は珝を尚書とし郡公に封じようとしたが、珝は尚書の激務と公爵の重みを理由に辞退し、中書・秘書二省には文士が多いためその末席に加わりたいと請うた。帝はこれを賢として秘書監に任じ河南公を賜爵、のち司空を拝命した。清約自守で政は大綱を挙げるのみで苛細を為さなかった。大安二年、太子太保を領し、三年、司徒陸麗らとともに平尚書事。薨去。子の蘭が爵を襲い庫部尚書となり卒した。
  • 子の盆生は驍勇で胆気があり数々の戦功を挙げ名将となった。勲功により平城子を賜爵。西道都督として戦没し雍州刺史を贈られた。