北齊書卷二十九 列傳第二十一 李璵

出自と経歴

  • 字は道璠、隴西成紀の人。涼の武昭王暠の五世の孫。父の李韶は魏代に重んじられた。璵は温雅で識量があり、太尉行参軍から起家し司徒右長史に累遷した。
  • 都が鄴に遷ると後方に留まり府蔵を監督し、宮廟の材木の運搬を采配して有能と称された。驃騎大将軍・東徐州刺史に累遷し、州を辞して老病を称し仕官を求めなかった。
  • 斉が受禅すると前将軍として円丘の儀に列するよう命じられたが、両朝に名を連ねることを望まず、旧臣として一度召されただけで朝請を絶った。天保四年に没した。

李璵の子孫

  • 子の李詮・李韞・李誦。李韞は素行が悪く、李誦は娘を穆提婆の子懐廆に嫁がせて臨漳令・儀同三司に急遷した。李韞は陸令萱の妹と私通し、令萱の奏請で太子舎人に任じられた。

李瑾(李璵の弟)

  • 字は道瑜。名は『魏書』にも見え、才識の美で当代に称された。六子の彦之・倩之・寿之・礼之・行之・凝之はいずれも器量があった。行之は兄弟と深く友愛し、風雅で士友に称された。范陽の盧思道はその舅の子で、詩を贈って「水衡の逸人に似て、潘楊の世親のごとし」と称え、時人はこれを実録と見た。

李曉(李璵の従弟)

  • 字は仁略。魏太尉李虔の子。学問と思慮に優れ、員外侍郎として起家した。爾朱栄が朝士を殺害しようとした際、衣冠を鼠に噛まれて出仕できず、河陰の難を免れた。都が鄴に遷ると清河に寓居し、従母の兄崔㥄の宅で良田三十頃を与えられ室を構えて安住し、子姪を訓育して仕官を望まなかった。武定末、世が治まったので都に入って仕え、頓丘守となり没した。