北齊書卷二十七 列傳第十九 韋子粲
韋子粲
- 韋子粲、字は暉茂。京兆の人。曾祖の閬は魏の咸陽守、父の雋は都水使者。子粲は郡の功曹史に仕え、累遷して大行台郎中となり、爾朱天光に従い関右を平定した。孝武帝が関に入ると南汾州刺史とされ、神武(高歓)は将を命じて出討させたところ、城が陥落し子弟がともに捕えられ晋陽に送られたが、放免を蒙り、子粲を并州長史とした。累遷して豫州刺史となり卒した。
- 初め子粲の兄弟十三人と子姪親属、一門百口はことごとく西魏にいたが、子粲が城を陥として難に死ななかったため多くが誅滅され、帰国して生存を得たのは弟の道諧との二人のみであった。道諧は子粲と共に入国したが、子粲は富貴になった後、道諧を特に見捨てて異居させ、得た廩禄はまったく分け与えなかった。その恩義を顧みぬことこのようであった。