北齊書卷二十一 列傳第十三 髙乾

髙乾、字は乾邕。渤海蓨の人。父の髙翼は葛栄の乱に際し渤海太守として一族を率いて自守した豪族。乾自身は爾朱氏討滅の義挙を主導し、髙歓(神武)を推戴して密議に与った功臣であったが、孝武帝との確執から謀反を疑われ、享年37で賜死された。弟の髙慎(仲密)はのち北豫州刺史として西魏に降った。

年表(2件)
  • 孝昌末父の髙翼が葛栄の乱に際し渤海太守となり、賊勢の高まりで一族を率い河済間へ移る
  • 天平初め賜死された乾に、死後太師・録尚書事・冀州刺史等が追贈される

出自と生い立ち

  • 髙乾、字は乾邕。渤海蓨の人。父の髙翼は字を次同といい、豪侠で人望があり州里に敬われた。孝昌末、葛栄の乱の際、朝廷は髙翼を渤海太守としたが、まもなく賊勢が盛んになり、翼は一族を率いて河済の間に移り住んだ。魏は東冀州を置き翼を刺史とし、鎮東将軍・楽城県侯を加えた。爾朱兆が荘帝を弑した後も翼は境を保って自守し、子らに「主が辱められれば臣は死すべし、いま社稷は危うい、破家報国はこの時だ」と語った。志半ばで没し、中興初め、使持節・侍中・太保・録尚書事等を追贈され、諡は文宣。
  • 乾は聡明で知略に富み、風采に優れたが、若い頃は軽俠で法を犯すことも多かった。長じて改め、財を軽んじ義を重んじて交友を広げた。魏の領軍元乂に重んじられ、員外散騎侍郎などを歴任した。

挙兵と栄達

  • 魏孝荘帝が藩にあった頃から乾は密かに通じ、爾朱栄が洛陽に入ると河北へ逃れた。荘帝即位後、乾ら兄弟は河北の流民を率いて挙兵し、葛栄の官爵を受けて斉州の兵馬をたびたび破ったが、荘帝の遣わした元羅の巡撫により兄弟で出降した。朝廷は乾を給事黄門侍郎としたが、爾朱栄が旧罪を理由に近侍を許さず、乾は解官して郷里に帰り、驍勇の士を集めて力を養った。
  • 栄の死後、乾は洛陽に馳せ参じ荘帝に喜ばれ、河北大使として郷里の招集を命じられた。まもなく爾朱兆が洛陽に入り、監軍孫白鷂が民馬徴発を口実に乾兄弟を捕らえようとしたため、乾は先んじて壮士を率い冀州城を襲い、白鷂を殺し刺史元仲宗を捕らえ、封隆之を推して州事を代行させた。荘帝のために挙哀し、幽州刺史劉霊助の節度を受けて呼応した。霊助が敗死した後、髙祖(高歓)が山東に出て来討の風聞が立つと、乾は「高晋州(高歓)の雄略は世に並ぶ者なし、爾朱の無道を討つ英雄の会だ」と衆に語り、自ら軽騎で出迎え、意図を密かに通じた。髙祖は大いに乾を重んじ、同じ帳で寝起きするほど親しんだ。
  • 尒朱羽生(殷州刺史)を、乾が偽って救援に赴くと見せて捕らえ、殷州を平定。さらに中興主(前廃帝)擁立の策を定め、乾は侍中・司空となった。父の喪に服すため辞職を願い出て許され、長楽郡公・食邑千戸に封じられた。
  • 武帝(孝武帝)は髙祖に対抗するため乾を自陣に引き込もうとし、盟約を結ぶよう迫ったが、乾は「臣は世々朝廷の厚恩を受け、身をもって国に報いる、どうして二心があろうか」と応じつつも、本心ではなかった。その後武帝が私兵(部曲)を置くのを見て、乾は武帝が賀抜岳らと通じ賀抜勝を荊州刺史とし勢力を樹てようとしていると察し、密かに髙祖に報せた。髙祖に招かれ幷州で密議し、乾は髙祖に魏の禅譲を受けるよう勧めたが、髙祖は「妄りに言うな」と口を塞いだ。
  • 乾はたびたび徐州刺史への転出を願い出て変事を避けようとしたが、事が漏れて武帝の疑いを招き、髙祖が乾の書状を武帝に送ったことで武帝は乾を詰問し、幽閉した。乾は「臣は身をもって国に忠を尽くしたが、陛下が異図を立てて臣を裏切り者とされる、罪を加えようとすれば辞なきことなどあろうか」と述べ、荘帝の死に殉じる覚悟を語った。武帝はついに乾を賜死した。時に年三十七。乾は死に臨んで顔色を変えず、見る者はみな嘆惜した。監刑の元整に「兄弟は各地に分かれ、今日のことでは誰も全うできまい、子供もまだ幼く、覚えてもいまい」と語った。
  • のち髙祖は爾朱兆討伐の途上、弟の昂に「早く司空(乾)の策を用いていればこの日はなかった」と語った。天平初め、太師・録尚書事・冀州刺史等を追贈され、諡は文昭。長子繼叔は洛城県侯を襲い、次子呂兒は乾の爵を襲った。

髙慎(乾の弟)

  • 髙慎、字は仲密。乾の弟で、文史に通じ兄弟とは異なる志向を持ち、父に偏愛された。滄州刺史、光州刺史などを歴任し驃騎大将軍・儀同三司を加えられたが、政は厳酷で左右の吏民を苦しめた。兄乾の死後、密かに州を棄てて髙祖のもとへ帰した。政務では権勢を憚らず、御史中尉として選んだ属官の多くが親戚で、世宗(高澄)に改選を命じられた。
  • 前妻は崔暹の妹であったが慎に棄てられており、崔暹が世宗に重んじられるようになると慎は恨みを抱いて弾劾を怠るようになり、髙祖に責められて不安を募らせた。北豫州刺史として武牢を拠点に西魏へ降った。慎自身は先に関中へ入ったが、妻子は西へ逃れる途中で捕らえられた。髙祖は慎の勲功ある一族に免じ、一房を没収するに留めた。