北齊書卷十九 列傳第十一 侯莫陳相

侯莫陳相

  • 侯莫陳相、代の人。祖父伏頽は魏第一領民酋長、父斛古提は朔州刺史・白水郡公。相は蔚州刺史・大行台西道諸軍事節度、車騎将軍・顕州刺史、太僕卿、汾州刺史、安次県男・始平県公に別封。天保初め太師、司空公・白水王(食邑1100戸)に進爵。太傅・建州の食封を経て義寧郡公に別封。武平二年四月、州で薨去、83歳。仮黄鉞使持節督冀定瀛滄済趙幽并朔恒十州軍事・右丞相・太宰・太尉公・朔州刺史を追贈。長子貴楽は公主に尚し駙馬都尉、次子晋貴は武衛将軍・梁州刺史。隆化の時、并州陥落に際し晋貴は周に降り上大将軍・信安県公を授かった。

史論

  • 史臣曰く、高祖は雲代に世居し英雄と見なされ、爾朱氏の下で武功を積むにつれ郷邑の人々にますます推重された。賀抜允は兄弟が引き離される猜疑の地に置かれながら、旧望をもって身を守ろうとしたが結局天寿を全うできなかった。呉蜀の周瑜・諸葛亮の安泰と比べれば器識の浅深が知れよう。劉貴・蔡儁は先見の明があり覇業の基礎を築くのに義深く匡賛し、清廟に配享されたのももっともである。韓賢らは義挙を聞くや軍旅に馳せ参じ、その余光により志力を伸ばし公侯となったのも当然である。
  • 賛に曰く、帝郷の親族には世々人材があり、雲朔の地に降臨した霊が良臣を生んだ。功名の地は古より隣り合っている。