劉貴
- 劉貴、秀容陽曲の人。父乾は魏の前将軍・肆州刺史を追贈。貴は剛格で気概あり爾朱栄府の騎兵参軍を歴任、建義初め定策の勲により敷城県伯(食邑500戸)・左将軍・大中大夫、公に進爵。栄の性急さに応じ貴も厳峻な統治で信任され、撫軍将軍。永安三年涼州刺史。建明初め爾朱世隆の専擅下で征南将軍・金紫光禄・左僕射兼・西道行台として孝荘の行台元顕恭を正平で撃破捕縛。晋州刺史。普泰初め汾州事代行。高祖の起義に城を棄てて鄴で高祖に帰す。太昌初め肆州刺史、建州事代行、天平初め陝州刺史、四年御史中尉・肆州大中正、行台僕射として侯景・高昂らと独孤如願を洛陽で討伐。
- 貴は経歴した地で威酷を極め、城郭修築を督責し理不尽に殺害、民を草芥のごとく扱ったが、厳断で機速に益あるとされ非佐命の元功ながら高祖の布衣の旧知として特に親重された。興和元年十一月卒、冀定并殷瀛五州軍事・太保太尉公録尚書事・冀州刺史を追贈、諡は忠武。斉受禅で墓に祭告、皇建中高祖廟庭に配享。長子元孫は員外郎・肆州中正で早卒し肆州刺史を追贈。次子洪徽が嗣ぎ武平末仮儀同三司・門下事奏事。